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フレンチ編追補 JULIEN CLERC ジュリアン・クレール - 白野弁寿

2026/09/09 (Wed) 13:36:42

とりあえず、ボーカル編、当初予定のアーティスト一巡しました。次はインスト編か、サントラ編を考えていますが、ここ数年で新たに入手・確認できたボーカル盤がありますので、その追補を。

まずは、フレンチ編。
ジュリアン・クレールがありました。

JULIEN CLERC ジュリアン・クレール(本名:Paul-Alain Auguste Leclerc ポール=アラン・オーギュスト・ルクレール)は、1947年10月4日パリ19区生まれ。父ポール・ルクレール(1916-2003)は大学教授やユネスコ高官を務め、母マリー=ルイーズは西インド諸島にルーツをもつハーフであったが、幼少期に離婚し、再婚した父のもと厳格な中流家庭に育ったという。ビートルズのフランス公演に感化されて四人組アマチュアバンドを結成、この頃エチエンヌ・ロダ=ジルと知り合っている。1968年、パテ・マルコーニからレコードデビュー。ロダ=ジルやジャン=ルー・ダバディとのコラボレーションで歌手としての地位を確立した。1969年ロック・ミュージカル『ヘアー』のフランス版で主役を務めスターの地位を決定づけた。1975年、唯一の出演映画『D'AMOUR ET D’EAU FRAICHE』(ジャン・ピエール・ブラン監督、日本未公開)で共演した女優ミウ・ミウと結婚したが離婚。ミウ・ミウが直前にパトリック・ドヴェールとの間に授かった娘アンジェルを離婚後も実の娘のように育て、アンジェルは成人後自ら申し出て養子となっている。

2021年、仏ワーナー系のSI ON CHANTAITからリリースされたアルバム『LES JOURS HEUREUX』に「A BICYCLETTE」が収録されている。このアルバムはトレネやアズナヴール、ベコーなどシャンソンのクラシック作品を取り上げたもので、モンタンのカヴァーとして「A BICYCLETTE」が歌われている。ピエール・バルーのオリジナル仏語詞で、編曲はバンジャマン・コンスタン。伴奏はバンジャマン・コンスタン(ピアノ/ハモンドオルガン)、ケヴィン・レヴェランド(ダブルベース)、ロイク・ポンチュー(ドラムス)、エルヴェ・ブロー(ギター)、フレデリック・クーデルク(サックス、フルート、クラリネット)が担当している。

バンジャマン・コンスタン Benjamin Constant は、詳細な経歴は不明だが、パトリック・ブリュエルとコラボすることの多いプロデューサー、ソングライター、エンジニアで、ギターやピアノも演奏する。父ベルナールも音楽家で、コンビで“B&B Constant”としても活躍している。

JULIEN CLERC / LES JOURS HEUREUX / CD FR SI ON CHANTAIT 0190296450518 (2021.11.26)
1. BOUM ! (Charles Trenet, Raoul Breton – Charles Trenet)
2. FOR ME FORMIDABLE (Jacques Plante – Charles Aznavour)
3. MON MANEGE A MOI (Jean Constantin – Norbert Glanzberg)
4. A BICYCLETTE (Pierre Barouh – Francis Lai)
5. L'IMPORTANT C'EST LA ROSE (Louis Amade – Gilbert Bécaud)
6. JOYEUX NOEL (Barbara)
7. VINGT ANS (Léo Ferré)
8. QUE C'EST TRISTE VENISE (Françoise Dorin – Charles Aznavour)
9. J'AI TA MAIN (Charles Trenet, Raoul Breton – Charles Trenet)
10. DIS, QUAND REVIENDRAS-TU ? (Barbara)
11. LA VALSE A MILLE TEMPS (Jacques Brel)
12. JE REVIENS TE CHERCHER (Pierre Delanoë – Gilbert Bécaud)
13. COMME A OSTENDE (Jean-Roger Caussimon – Léo Ferré)
14. VIENNE (Barbara – Barbara, Roland Romanelli)
Realise, Arrange, Enregistre et Mixe par BENJAMIN CONSTANT au STUDIO LE CHANTIER, CYBARBOX ET KRP STUDIO
Assistant: SEBASTIEN VIGUIER
Preparation piano: VINCENT GUYON

4. Piano / Orgu Hammond: BENJAMIN CONSTANT – Contrebasse: KEVIN REVEYRAND – Batterie: LOIC PONTIEUX – Guitares: HERVE BRAULT – Saxophones, Flutes Clarinettes: FREDERIC COUDERC

Re: フレンチ編追補 JULIEN CLERC ジュリアン・クレール - 白野弁寿

2026/09/09 (Wed) 13:37:56

ジャケット裏面

Re: フレンチ編追補 JULIEN CLERC ジュリアン・クレール - 白野弁寿

2026/09/09 (Wed) 13:41:15

インナー ブックレット

Re: フレンチ編追補 JULIEN CLERC ジュリアン・クレール - 白野弁寿

2026/09/09 (Wed) 13:43:24

ンナー ブックレット ~ A BICYCLETTE

歌詞とミュージシャンの詳細はこちらを参照ください。

Re: フレンチ編追補 JULIEN CLERC ジュリアン・クレール - 白野弁寿

2026/09/09 (Wed) 13:47:36

おまけ

若き日のジュリアン・クレールの日本盤シングル

Re: フレンチ編追補 JULIEN CLERC ジュリアン・クレール - 白野弁寿

2026/09/09 (Wed) 13:49:52

おまけ 2

日本語版 訳詞は安井かずみさん!

GERHARD WENDLAND ゲルハルト・ヴェンランド - 白野弁寿

2026/09/08 (Tue) 12:13:48

GERHARD WENDLAND ゲルハルト・ヴェンランドは、1916年4月19日ベルリン生まれ。ベルリン音楽学校で声楽を修めオペラ歌手を目指したが、フランツ・グローテに勧められてポップスに転じた。サッカーが好きで、ブンデスリーガ、ドルトムントの熱烈なサポーターであったという。1996年6月21日ミュンヘン近郊の自宅で亡くなった。

1971年、独フィリップスから「ある愛の詩」ドイツ語ヴァージョン「SCHICKSALSMELODIE (LOVE STORY)」をシングルリリース。クルト・フェルツの独語詞で、編曲等のクレジットはないが、制作はホルスト・ハルトマン。

GERHARD WENDLAND / SCHICKSALSMELODIE (LOVE STORY) / SI GER PHILIPS 6003140 (1971)
1. SCHICKSALSMELODIE (LOVE STORY) (F. Lai – K. Feltz) 3:33
2. LIEBE WIE IM ROSENGARTEN (J. South – K. Hertha) 2:19
Produktion: Horst Hartmann

Re: GERHARD WENDLAND ゲルハルト・ヴェンランド - 白野弁寿

2026/09/08 (Tue) 12:16:34

ジャケット裏面

フィリップスの広告だが、中央下部にゲルハルト・ヴェンランドのレコードがあり、その肖像が確認できる。

Re: GERHARD WENDLAND ゲルハルト・ヴェンランド - 白野弁寿

2026/09/08 (Tue) 12:18:34

レーベル面

クレジット等はこちらを参照ください。

OLIVERA VUCO オリヴェラ・ヴッコ - 白野弁寿

2026/09/07 (Mon) 12:47:45

OLIVERA VUCO オリヴェラ・ヴッコ(セルビア語ではヴチョと発音するらしい。生名:Olivera Petrović オリベラ・ペトロヴィッチ)は、1940年3月5日旧ユーゴスラビア、ベオグラード生まれ。1969年亡くなった母カタリナを偲んで、オリヴェラ・カタリナOlivera Katarinaに改名している。幼少期からピアノとバレエを習い、1959年にはパリに留学した。帰国後ベオグラード大学法学部に入学したが、演劇学部に転じ、女優・歌手として活躍している。女優としては、1967年カンヌ映画祭パルムドール、アカデミー外国語映画賞を受賞したアレクサンドル・ペトロヴィッチ監督・音楽の『ジプシーの唄をきいた』などがある。歌手としては、伝統的なセルビア民謡やジプシー/ロマの歌を得意とし、パリのオランピア劇場でもリサイタルを開いている。また1973年には“オリベラ・カタリーナ”名義で日本語のレコード「若者は帰らなかった」(AMON-1022)もリリースされている。

1967年、ユーゴスラビアPGP(国営のレコード会社?)からリリースされたEPに「TEMA IZ FILMA “JEDAN COVEK, JEDNA ZENA” 映画“男と女”のテーマ」が収録されている。クレジットにはバルー、レイとムラデン・グテサの名前があるが、官能的なスキャット・ボーカル。ムラデン・グテサは編曲を担当しているようだ。

Mladen Guteša ムラデン・グテサは、1923年12月16日ボスニア、サラエボ生まれ。ベオグラードの音楽大学を卒業後放送局で楽団指揮者を務めたのち、ドイツに移住し、ベニー・グッドマンの知己を得て編曲を手掛けるようになった。その後、ドイツの放送局やスイスで活動していたが、1988年に引退。2015年12月2日セルビア、ベオグラードで亡くなった。

OLIVERA VUCO / YUGOSLAVIA PRODUKCIJA GRAMOFONSKIH PLOCA EP 50139 (1967)
1. JA NISTA NE ZNAM (M.Gutesa)
2. BOSONOGA SENDI (MARIONETA) (The puppet on a string) (B.Martin – Ph.Coulter – S.Stevanovic – B.Karakas)
3. MOJ JE CEO SVET (Uno tranquillo) (Pace – Pilat - Panzeri – M.Gutesa – B.Karakas)
4. TEMA IZ FILMA “JEDAN COVEK, JEDNA ZENA” (P.Barouh – F.Lai – M.Gutesa)

Re: OLIVERA VUCO オリヴェラ・ヴッコ - 白野弁寿

2026/09/07 (Mon) 12:49:09

ジャケット裏面

Re: OLIVERA VUCO オリヴェラ・ヴッコ - 白野弁寿

2026/09/07 (Mon) 12:54:39

おまけ 『ジプシーの唄をきいた』 仏盤サントラEP

女優として出演し、1967年カンヌ映画祭パルムドール、アカデミー外国語映画賞を受賞したこの映画は、仏AZからサントラ盤EPがリリースされていた。


DOLORES VARGAS ドロレス・ヴァルガス - 白野弁寿

2026/09/06 (Sun) 12:48:52

DOLORES VARGAS ドロレス・ヴァルガス(本名:Maria Dolores Castellón Vargas マリア・ドロレス・カステリョン・ヴァルガス)は、1936年5月16日バルセロナ生まれ。兄のエンリケとマドリッドに出て芸能活動を始め、フラメンコポップ、カタルーニャ・ルンバの歌手として活躍した。1958年いとこでフラメンコギタリストのホセ・カステリョンと結婚し、一女をもうけた。1987年夫の死後引退し、晩年はチリベリャ(バレンシア)で過ごし、福音派教会の礼拝でのみ歌ったという。2016年8月7日、白血病のためバレンシア総合病院で亡くなった。

1971年、スペイン・ベルターから、ドロレス・バルガス“ラ・テレモト”名義で、「ある愛の詩」をシングルリリース。アルフォンソ・アルピンのスペイン語詞で、ギター伴奏は夫君ホセ・カステリョン。

ホセ・カステリョン(本名:José Castellón Batista ホセ・カステリョン・バティスタ)は、詳細なプロフィール(生年生地など)は不明だが、スペインのフラメンコギタリストで、Antonio Jiménez アントニオ・ヒメネスとクレジットされることもある。1958年にドロレス・バルガスと結婚したが、1987年5月に亡くなっている。

アルフォンソ・アルピンについては、ヴィッキー・カーやアストラッド・ジルベルトの項を参照。

DOLORES VARGAS “LA TERREMOTO” / SI SP BELTER 07.965 (1971)
1. CHIRPY CHIRPY CHEEP CHEEP (H. Stott – P. Cassla – Adap. A. Alpin)
2. LOVE STORY (C. Sigman – F. Lai – Adap. A. Alpin)
Guitarra: J. CASTELLON

Re: DOLORES VARGAS ドロレス・ヴァルガス - 白野弁寿

2026/09/06 (Sun) 12:50:26

ジャケット裏面

BOBBY VINTON ボビー・ヴィントン - 白野弁寿

2026/09/04 (Fri) 12:32:14

BOBBY VINTON ボビー・ヴィントン(本名:Stanley Robert Vinton, Jr.  スタンリー・ロバート・ヴィントン・ジュニア)は、1935年4月16日米国ペンシルベニア州キャノンズバーグ生まれ。父親がバンドリーダーで、高校時代からバンドを結成し、デュケイン大学で作曲を専攻した。兵役後1960年エピック・レコードと最初バンド・リーダーとして契約したがヒットせず、歌手として成功を収めた。全米第1位を記録した代表曲「ミスター・ロンリー」はFM東京『JET STREAM』テーマ曲としても知られる。2015年7月の公演を最後に表舞台から遠のいている。

1975年、米ABCからリリースされたアルバム『THE BOBBY VINTON SHOW ボビー・ヴィントン・ショウ』に「ある愛の詩」が収録された。カール・シグマンの英語詞で、伴奏指揮はジミー・デール。

ジミー・デール JIMMY DALE(本名:James Edwin Dale ジェームズ・エドウィン・デール)は、1935年10月23日英国ロンドン生まれ。1947年11歳の時に家族と共にカナダに移住し、トロントでゴードン・デラモントに音楽理論と作曲を師事した。カナダとアメリカのテレビ局で音楽監督として活躍し、映画・TVの作・編曲家、指揮者、オルガニスト、ピアニストとしても名を馳せた。CTVテレビジョン・ネットワークの『ボビー・ヴィントン・ショー』でも音楽監督を担当した。2017年5月20日にフロリダ州ネイプルズで81歳で亡くなった。

このアルバムは、ボビー・ヴィントンの通算27枚目、ABCレコードでは3枚目のスタジオアルバム。TV番組『ボビー・ヴィントン・ショー』でヴィントン自身が歌った13曲を収録したもの。番組のテーマソングである「My Melody of Love」のインストバージョンで始まり、1960年代から70年代にかけての人気曲のカバーバージョンで構成されている。

日本では翌1976年8月、日本コロムビア~ABCからシングルリリースされた。これは、カプリング曲「パロマ・ブランカ(幸せの白い鳩)」がTBS『おはよう700』~“キャラバンⅡ”のテーマ曲として使用され、その“超本命盤”としてリリースされたため。シングル盤解説によれば、アルバム『THE BOBBY VINTON SHOW ボビー・ヴィントン・ショウ』日本盤は11月25日発売予定となっている。
ちなみに「パロマ・ブランカ(幸せの白い鳩)」は1976年のアルバム『SERENADES OF LOVE 愛のセレナーデ』からのシングルカットで、日本盤は10月25日発売予定と記されている。
したがって、日本以外ではシングルリリースはされていないようだ。

BOBBY VINTON / SI JA ABC YK 820 AB (1976.8)
1. PALOMA BLANCA (H.Bouwens)
2. (WHERE DO I BEGIN) LOVE STORY (F.Lai – C.Sigman)

Re: BOBBY VINTON ボビー・ヴィントン - 白野弁寿

2026/09/04 (Fri) 12:34:35

日本盤シングル ジャケット裏面解説

SARAH VAUGHAN サラ・ヴォーン - 白野弁寿

2026/09/03 (Thu) 12:25:34

SARAH VAUGHAN サラ・ヴォーン(本名:Sarah Lois Vaughan サラ・ロイス・ヴォーン)は、1924年3月27日米国ニュージャージー州ニューアーク生まれ。7歳でピアノを始め、教会のオルガン奏者・聖歌隊として活躍。1942年、アポロ・シアターのアマチュア・ナイトで優勝したのをきっかけにプロ歌手デビュー。ソプラノからコントラルトまでオペラ歌手にも匹敵する幅広い声域と、豊かな声量を兼ね備え、ジャズ・ボーカル史上ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルドと並ぶ、女性ジャズ・ヴォーカリスト御三家の一人と言われた。1990年4月3日、カリフォルニア州の自宅で肺癌のため亡くなった。

1973年9月24日、東京中野サンプラザでのライブで「ある愛の詩」を歌っている。カール・シグマンの英語詞で、伴奏はカール・シュローダー(ピアノ)、ジョン・ギアネリ(ベース)、ジミー・コブ(ドラムス)。
このアルバムは同年、米メインストリームから2枚組LPとしてリリースされ、各国盤がリリース再発される“名盤”となっている。日本でも同年テイチクからリリースされ、1986年にはCD2枚組で再発された。

また、1991年には、ソニー・ミュージックエンタティメントから、2枚組LPに収録されず『アンコール!サラ』として別途リリースされた9曲も追加収録された“決定版”(2CD JA SONY MAINSTREAM RECORDS SRCS 9391-2)もリリースされている。(画像はこの決定版CD)

SARAH VAUGHAN / LIVE IN JAPAN / 2LP USA MAINSTREAM MRL 2 401 (1973)
ID / 2LP JA TEICHIKU MAINSTREAM RECORDS ULS-119-120 (1973)
ID / 2CD 2CD JA MAINSTREAM RECORDS 60ED5003 (1986.10.21)
A1. A FOGGY DAY
A2. POOR BUTTERFLY
A3. THE LAMP IS LOW
A4. 'ROUND MIDNIGHT
A5. WILLOW WEEP FOR ME
B1. THERE WILL NEVER BE ANOTHER YOU
B2. MISTY
B3. WAVE
B4. LIKE SOMEONE IN LOVE
B5. MY FUNNY VALENTINE
C1. ALL OF ME
C2. LOVE STORY (WHERE DO I BEGIN)
C3. OVER THE RAINBOW
C4. I COULD WRITE A BOOK
D1. THE NEARNESS OF YOU
D2. I'LL REMEMBER APRIL
D3. WATCH WHAT HAPPENS
D4. BYE BYE BLACKBIRD

Re: SARAH VAUGHAN サラ・ヴォーン - 白野弁寿

2026/09/03 (Thu) 12:28:24

決定版CDジャケット裏面

CD2枚組の収録曲はこちらを参照ください。

Re: SARAH VAUGHAN サラ・ヴォーン - 白野弁寿

2026/09/03 (Thu) 12:32:07

決定版CDジャケットインナー

2枚組オリジナルLPを流用復刻しているので、オリジナルのライナーはこちらを参照ください。

Re: SARAH VAUGHAN サラ・ヴォーン - 白野弁寿

2026/09/03 (Thu) 12:34:37

決定版CD~解説

CDの収録内容と解説はこちらを参照ください。

ORNELLA VANONI オルネラ・ヴァノーニ おまけ - 白野弁寿

2026/09/02 (Wed) 13:39:33

ヴァノーニの肖像がモノクロで小さいので、いくつか手持ちのジャケットをご紹介。

まずは、キングレコードのシングル盤

Re: ORNELLA VANONI オルネラ・ヴァノーニ おまけ - 白野弁寿

2026/09/02 (Wed) 13:42:34

比較的初期のシングル(ポリドール~リコルディ)

Re: ORNELLA VANONI オルネラ・ヴァノーニ おまけ - 白野弁寿

2026/09/02 (Wed) 13:50:02

『高校教師』~「明日は別の日」

ドロン主演作でいえば、この主題歌も歌っていました。

ORNELLA VANONI オルネラ・ヴァノーニ - 白野弁寿

2026/09/02 (Wed) 13:31:29

ORNELLA VANONI オルネラ・ヴァノーニは、1934年9月22日ミラノ生まれ。製薬会社を経営する裕福な一家に生まれ、ソルボンヌ大学、ケンブリッジ大学に留学。帰国後ミラノ小劇場で女優デビューし、映画にも数本主演したが、歌手に転向。ミルバ、ミーナとともにイタリアン・ポップスを代表する女性歌手の一人となった。1970年にヴァノーニ最大のヒットとなった「L'APPUNTAMENTO 逢びき」はアラン・ドロン主演の『ビッグ・ガン』(1973)や、米映画『オーシャンズ12』(2004)に使用された。2025年11月21日ミラノの自宅で心停止のため亡くなった。

1967年、伊アリストンから「男と女」をシングルリリース。ヘルベルト・パガーニ(デイジー・ルミニの項を参照)のイタリア語詞で、編曲はアウグスト・マルテッリ。

アウグスト・マルテッリ AUGUSTO MARTELLI は1940年3月15日ジェノヴァ生まれ。父親は作・編曲家のジョルダーノ・ブルーノ・マルテッリ、姉エディットはソプラノ歌手という音楽一家で、アウグストも早くから作・編曲家、指揮者、レコードプロデューサーとして活躍した。歌手ミーナとは公私にわたるパートナーだったが、結婚には至らなかった。またTV司会者も務め、映画音楽やTVのテーマ曲も手掛け、ボブ・ミッチェルBob Mitchell、ウット・ハンマーズUtto Hammersなどの変名を用いることもある。晩年は病気を患っていたが、2014年11月3日ミラノの自宅アパートで亡くなった。

ORNELLA VANONI / SI IT ARISTON AR0194 (1967)
1. TI SALUTO RAGAZZO (A.Aurri – M.Jurgens – A.Martelli) 2:28
2. UN UOMO, UNA DONNA (UN HOMME ET UNE FEMME) (Pagani – Baroouh – Lai) 2:26
Orch e arr A Martelli
La sigrla di “GRAN VARIETA” (1)

Re: ORNELLA VANONI オルネラ・ヴァノーニ - 白野弁寿

2026/09/02 (Wed) 13:34:28

レーベル面

ジャケットはタイトルロゴが異なるだけで、表裏同一デザインなので、クレジット等はこちらを参照ください。

NINO TEMPO & APRIL STEVENS ニノ・テンポ&エイプリル・スティーブンス - 白野弁寿

2026/09/01 (Tue) 12:19:57

NINO TEMPO & APRIL STEVENS ニノ・テンポ&エイプリル・スティーブンスは、米国の姉弟ボーカルデュオ。1963年「ディープ・パープル」でグラミー賞最優秀ロックンロール・レコーディング部門賞を受賞した。
ニノ・テンポ NINO TEMPO(本名:アントニーノ・ロテンピオ Antonino LoTempio)は、1935年1月6日ニューヨーク州ナイアガラフォールズ生まれ。4歳でタレントショーに優勝し、ベニー・グッドマンと共演したり、子役として映画『赤い仔馬』や『グレン・ミラー物語』に出演した。1961年姉キャロルとボーカルデュオを結成し、“ニノ・テンポ&エイプリル・スティーブンス”として活躍した。またセッション・ミュージシャンや声優としても活躍した。2025年4月10日カリフォルニア州ウェストハリウッドの自宅で亡くなった。
エイプリル・スティーブンス APRIL STEVENS(本名:キャロル・ヴィンシネット・ロテンピオ Caroline Vincinette LoTempio)は、1929年4月29日ニューヨーク州ナイアガラフォールズ生まれ。両親ともルーツはシチリア島からの移民で、ニノ・テンポの姉。1950年頃からレコーディング活動を始め、1961年弟アントニーノと、最初“Carol & Anthony”名義でレコードデビュー。芸名をエイプリル・スティーブンスに変えて“ニノ・テンポ&エイプリル・スティーブンス”として活躍した。2013年に出版した自伝の中で、当時年齢詐称していたことを告白している。2023年4月17日アリゾナ州スコッツデールで亡くなった。

1972年、A&Mから「ある愛の詩」をシングルリリース。カール・シグマンの英語詞で、編曲はジェフ・バリーとニノ・テンポ。

ジェフ・バリー JEFF BARRY(本名:ジョエル・アデルバーグ Joel Adelberg)は、1938年4月3日米国ニューヨーク市ブルックリン生まれのソングライター、音楽プロデューサー。1962年エリー・グレニッチ(1940~2009)と結婚し、1965年離婚後も共同でロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」など多くのヒット曲を生み出した。1971年A&Mレコードと契約し、1972~75年ニノ・テンポ&エイプリル・スティーブンスを担当した。

このレコードは欧米各国でリリースされたが、特にオランダでは1973年シングルチャート5位を記録するヒットとなった。(画像は仏盤)

NINO TEMPO & APRIL STEVENS / SI USA A&M 1394S (1972)
ID / SI FR A&M AM 1394 (1972)
ID / SI HOL A&M 12447 AT (1972)
1. LOVE STORY (C.Sigman – F.Lai)
2. HOOCHY COOCHY-WING DANG DOO (J.Barry – N.Tempo – A.Stevens)
Produced and arranged by JEFF BARRY and NINO TEMPO

Re: NINO TEMPO & APRIL STEVENS ニノ・テンポ&エイプリル・スティーブンス - 白野弁寿

2026/09/01 (Tue) 12:22:22

仏盤シングル~レーベル面

ジャケット裏面はA&Mのレーベルロゴのデザインなので、クレジット等はこちらを参照ください。

Re: NINO TEMPO & APRIL STEVENS ニノ・テンポ&エイプリル・スティーブンス - 白野弁寿

2026/09/01 (Tue) 12:23:56

オランダ盤ジャケット

デザインは表裏同一タイプ

DANNY STREET ダニー・ストリート - 白野弁寿

2026/08/31 (Mon) 12:26:08

DANNY STREET ダニー・ストリート(本名:Joseph Wilson Drysdale ジョセフ・ウィルソン・ドライスデール)は、1941年4月22日スコットランド中部スターリング生まれ。生地の高校を卒業後、電気技師見習いをしながら歌唱法を習い、1962年11月からダニー・ストリート名義でジョニー・ハワード・バンドのボーカリストとしてBBCラジオに出演した。1969年バンド脱退後はソロ・アーティスト、セッション・シンガーとして活動していたが、心臓病を患い、1995年頃引退。2010年4月21日心臓発作で亡くなった。

1972年、テイチク~パイ・レコードから、ドン・ブラック・オーケストラ・アンド・シンガーズのソロ・ヴォーカルとして、「WHERE DID OUR SUMMER GO 個人教授」をシングルリリース。カプリングは「TO SIR WITH LOVE いつも心に太陽を」(マーク・ロンドン作曲)で、いずれもドン・ブラック自身の作詞によるもの。
レーベル面の記載から、原盤は英パイからリリースされた『THE DON BLACK MOVIE SONGBOOK』(UK PYE NSPL 18346、リリース年不明)と思われるが、未確認。

THE DON BLACK ORCHESTRA & SINGERS (vocal DANNY STREET) / SI JA PYE UP-381-Y (1972)
1. TO SIR WITH LOVE (Mark London – Don Black)
2. WHERE DID OUR SUMMER GO (Francis Lai – Don Black)

Re: DANNY STREET ダニー・ストリート - 白野弁寿

2026/08/31 (Mon) 12:27:30

シングルジャケット裏面解説


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